グラベルバイクを手に入れてからのマイブームは、幹線道路から外れた小径を探検すること。お目当ての未舗装路にはなかなか行き当たりませんが、荒れた路面やちょっとした激坂でそれっぽさは十分楽しめます。
走り尽くした気になっていた地元・三浦半島も、改めて地図を眺めてみると「半世紀近く住んでいるのにまだまだ行ったことがないエリアがあるなあ」と。
というわけで、三浦半島の“隠れた魅力”に迫る超ローカル企画「グラベル&小径(こみち)ポタ」。今回は三浦市のマイナーエリアに突入します。
①和田エリア
三浦半島の名所旧跡といえば、ペリー来航から大戦までの軍事的なものが中心。ですが、平安〜鎌倉時代にブイブイ言わせていた「三浦一族」の史跡も地味に点在しています。今回訪れたのは地名にもなっている和田義盛(わだよしもり)ゆかりの地。
三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。
そうですが……
弓の名手であり、武勇において御家人の尊敬を受ける人物であった。侍所別当としては、西国遠征の際には真っ先に東国へ帰ろうとしたり、鎌倉内で三浦氏と足利氏が争った際に、仲裁にあたるべき立場でありながら三浦方に加わるなど、職務に対して思慮に欠ける面があった。
出典: ウィキペディア
だそう。今風に言えば、武闘派脳筋イケイケおじさん?大抵の白旗神社には源頼朝や義経が祀られていることを考えるとちょっと異色。慕われていたのか、畏れられていたのか……
白旗(しらはた)神社
和田義盛を祭神として祀ったり神社。切り立った丘の上から畑を見下ろすように建立された、いわゆる“村の鎮守”的なロケーションです。明治生まれの狛犬が良い雰囲気。
和田義盛の碑
和田城址
轡堰(くつわぜき)
和田地区から農道を繋いで北上すると、ぽかっと開けた溜池に抜けられます。農業用の人工池ですが、周辺の歩道やデッキなど親水施設として整備されています。名前の由来になっている中央の築山には、鷺を中心にさまざまな水鳥たちが大集合。
②長浜(なはま)・三戸浜(みとはま)
磯場を境に隣接する2つの砂浜。アクセスは幹線道路からのピストンルートになります。そして5月末現在では、駐車場がオープンしているのは名浜だけ。自転車で海を眺めに行くなら空いている三戸浜がおすすめです。とはいえ、コロナ禍で海岸への立ち入りを禁じているわけなので、十分に配慮した行動を心がけたいものです。
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